病室の窓から薄墨色に沈んだ山なみが見えた
だが空の色は残暑が続くというのに遠く澄んで、初秋色に輝いていた。
・・・あの山は何処になるんやろ・・・
ぼくは京都をあんまり知らなかった。
病院のある場所は百万遍という所で、有名私大や国公立大学が数多くあるらしい。
ぼくはベットの上からぼんやりと窓外を見ていた。
この病院に入院してもう一週間が過ぎていた。
ぼくは窓から自分の左腕に貼られた小さな絆創膏に目をやった。
朝と夕方に二時間ずつ点滴を受ける。
規則正しい食事と睡眠、そして点滴。
そのおかげでぼくの弱っていた内臓は順調に回復していた。
身体の調子が良くなってきているのは自分でも分かった。
身体がすごく軽く感じるし、食欲も出てきた。
東京での生活がそれほど酷かったんだと今更に思う。
この病院での待遇も信じられないほどに良い。
病室も個室だった。
慌てたぼくが訳を聴くと神経科の方の配慮らしい。
しかし・・・
そういった順調さの中でジリジリと心を揺らす歯痒さがあった。
理由は二つあった。
一つは身体よりも気になっている神経症の治療だった。
ここに入院してから神経科の面接を受けたのは一度だけだった。
それもHという神経医が点滴中にひょいとやって来て、自己紹介をしただけ。
そして帰り際に「弱いって事と自分の神経症と関係あると思う?」「強いと神経症にならない?」
という二つの謎々のような質問を残して帰って行った事だった。
ぼくはからかわれたようで気分が悪かった。
アメリカ帰りで優秀な神経医と聞いていたが、ほんとに治療をする気があるんだろうか。
・・・弱いからこういう病気になるんやろ・・・
・・・強かったらならんわ・・・
H医師はアメリカのカルフォルニアで大学を出た後、街に出てカウンセラーをしていたらしい。
帰国したのはそのカウンセリングをして得た結果を論文にまとめるためらしい。
ぼくを引き受けてくれたのもその論文に関係があるようだった。
・・・それで個室か・・・
そういった事情がぼくを苛つかせていた。

もう一つの理由は茉莉だった。
茉莉と連絡がとれないでいる・・・これはけっこう辛いものがあった。
普通ならよくあることだしあまり気にならないのだが・・・
入院した翌日にぼくは茉莉に電話をした。
その時、取られた受話器をすぐに下ろされたのだ。
ぼくだということは茉莉には分かっていないはずだった。
・・・なんで・・・
それから何度か電話しようと思ったのだが、またすぐに切られるような気がしてとうとう電話出来ずにいた。
いろんな思いがぼくの心を揺さぶる。
何も出来ない今の状況が更にぼくを苛立たせていた。

ぼんやりと絆創膏を見ていた時、ノックと同時に看護師が入ってきた。
・・・どうですか?・・・
・・・あ、な・何とか・・・
・・・しばらく窓を開けようね。空気が淀んでるから・・・
・・・あ・あの・・・
看護師が柔らかな表情でぼくを見る。
・・・あ・あのや・山は?・・・
・・・うんと・・衣笠の方かな・・私もあんまり知らないの・・・
・・・衣笠・・・
・・・ほら、有名な私立大でR大の校舎があるの。本部はこのあたりなんだけど・・・
ぼくは頷いてもう一度その山の方を見た。
・・・あ、明日H先生が来られますから・・・
・・・あ・明日・・・
ぼくは少し緊張する。
看護師が窓を開け放った。
今までの静寂が嘘のように色々な音が一斉に入り込んでくる。
季節の終わりを惜しむツクツクボウシの鳴き声がぼくの胸を締め付けた。


BACK ああああああああああああ あああああああああああ NEXT