ぼくは駅のベンチでラムネを飲みながら赤茶けた線路を見ていた。
幸いな事に夕方までない急行列車に間に合う事が出来た。
この急行を逃せば5時帯まで普通列車ばかりでそれも一時間に一本だ。
ぼくはラムネを飲み干すとホームの先まで歩いて行った。
陽炎に歪む線路を見ながら不思議なほど静かな自分を見つめていた。
東京を離れる事が今のぼくに良いという・・・あのB医師の言葉の裏に隠された意味はどういう事なんだろう。
確かに何時も緊張していたぼくは此処にはいなかった。
・・・環境って事?・・・
しかしそれならぼくはこれからも東京に行けないという事になる。
・・・やめとこ、これ以上考えるのは・・・
ぼくは自分のすぐ悪い方に考える癖を断ち切るように視線を駅の広場に向けた。
焦げ茶色の柵の向こうに小さな広場があり、色褪せた一台のタクシーが壊れたように止まっていた。
あと十数分で列車が入ってくる。
しかし駅はまるでゴーストタウンのように人影も無く、蝉の鳴き声だけがやけに大きく聞こえた。
止まったような時間の中でぼくの視覚を刺激する色があった。
ぼくは広場からその方向に目をやる。
柵のそばに真っ赤なカンナが咲いていた。
思わず溜息がもれる。
勝ち誇ったように夏の空に向かって咲いているカンナ。
・・・カンナか・・・
カンナの名前を知ったのは小学校3年ぐらいの頃。
この駅で知った。
ぐずって泣きながらカンナを見ていた時、母がぼくの手を握って教えてくれた。
不安げに母の顔を見上げた時、白い顔にくっきりと雀斑が浮かんでいた。
当時の母は身体が弱く、疲れたり強い陽射しにあたると何時もは薄い雀斑が強く出てくる。
その事を知っていたぼくは泣くのも忘れて母の手を引き屋根のあるベンチに引っ張っていった。
あの時たまらなく不安になったのを憶えている。
その日からぼくはカンナという花が好きになった。
それは母に名前を教えてもらったからではなく、カンナが明るい生命力にあふれた花なのに何故か寂しい感じを受けたからかも知れなかった。
そしてその寂しさと母の身体の弱さが重なって心の中に刻み込まれたからに違いない。
・・・それにしてもさっきの場所とかカンナとか、心が疲れた時に何時も思い出すな・・・
生きているかぎり人はみんなそうなのかも知れなかった。
心が疲れたら自然に会いに行きたくなる。
・・・こういうのっておもろいなぁ・・・
・・・しかし・・・・・・ちょっと視線をかえれば自然は何処にもでもある。
もちろん東京という大都会の中にも。
・・・そういう事か・・・
列車到着のアナウンスが流れた。
ぼくがカンナを見ている間に何時の間にか数十人の人がホームにいる。
線路の向こうに列車が見えた時、少し心が震えた。
心の奥にある引き出しを開ければ何時だってこの風景を思い出すことが出来る。
ぼくは自分に強くそう言い聞かせるともう一度カンナを見た。
真っ赤な花弁が脳裏一杯に広がる。
その時『ガタン』と大きく重い音がして列車が停まった。

そして今ぼくの夏は終わろうとしていた。


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