何もしなくても立っているだけで汗が滲み出てくる。
油照りの昼下がりだった。
何故、此処にいるのか自分でも分からない。
気がつけば此処にいた。
新宿二丁目交差点近くの歩道橋。
ぼくは歩道橋の真ん中あたりで、新宿の繁華街を見ていた。
繁華街でなくてもこの辺りは人の往来が多い。
何時もは忙しげで無表情に見える人達が今日は違って見えた。
・・・何であんなに楽しそうに歩いてるんやろう・・・
東京に来てから特に人通りが嫌いになっていた。
その中に入るだけで息苦しさを覚え、ぼくは何時も裏通りを選んでいた。
今まではそうやって人混みを避けてきたのに、今日はそんな混雑が嫌だと思わなかった。
いや、実際には嫌だとか好きだとかという意識はないのかもしれない。
ぼくの中の思考回路が正常に働いてるのかさえ分からなかった。
歩道橋から下を覗き込む。
絶えることなく車が行き来する。
・・・此処から落ちたら楽になるやろな・・・
・・・身体もかぁ・・・
意味のない思い・・・しかし考えるのも億劫になっていた。
・・・めんどくさいなぁ・・・
じりじりする暑さの中で、後ろ向きの思いだけがカラカラと空回りしている。
そして『死』というものがこんなに近く感じられるのも初めてだった。
ぼくはゆっくりと身体を起こすと反対方向を見る。
街並みがけむって灰色に霞んで見えた。
ふと足元を見ると蝉が死んでいた。
・・・こんな歩道橋で死にたくなかったやろな・・・近くに緑がいっぱいの御苑もあるのに・・・
蝉の死骸を見ているうちにゆっくりと、思考回路が現実に戻っていく。
・・・入院か・・・
自然にため息が漏れた。

E医師はぼくの方を見ると、もう一度チラっとカルテを見た。
「うーん。。今時珍しいんだけど栄養失調だね」
「え・栄養失調?」
「そう・・その栄養失調からくる身体の衰弱だ」
「衰弱・・」
「神経科のBさんのカルテに君の生活が少しだけど書いてある。睡眠不足も影響してる・・・若いから出来る事だけど、かなりの負担が身体にかかってるね」
栄養失調からくる衰弱・・・ぼくはこの時、ほっとしていた。
「じ・じゃあ、食べて睡眠をよくとれば良いんですか?」
「普通だったらね・・半月ほど点滴をうてば栄養失調は改善される」
ぼくは頷いた。
「普通だったらだよ」
「え?」
「君の場合、そんなに簡単じゃないんだ」
E医師の表情が堅くなった。
「か・簡単じゃないって・・・」
「おそらく君が飲んでいた薬のせいだと思うけど、内臓もかなり悪い」
「・・・・・・・・・」
ぼくが一番気にかけていた事だった。
「今、もし診断書を出すんなら『栄養失調による身体の衰弱』って書くだろうけどね」
「・・・ど、どういう事ですか?」
「腎臓・肝臓の機能がかなり落ちてる・・・といっても病気って言えるほどじゃないって事だよ。でもね、身体が衰弱してる今、軽い風邪を引いても菌がそれらの内臓を犯す危険があるっていうことなんだ。病気と呼べなくても、その一歩手前の深刻な状態なんだよ」
そういうとE医師はカルテを見た。
そして看護士を呼ぶ。
「後ろを向いて」
ぼくは言われるままにE医師に背中を向けた。
・・・どうなるんや・・・
E医師の説明を聞いて、ぼくは何も考えられずにいた。
どう整理していいのか分からず頭の中が真っ白になっている。
程よく効いている冷房で快適なはずなのに、ぼくの身体はじっとりと汗をかいていた。


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