ぼくは大きく息を吸う。
そしてゆっくり聖橋から御茶ノ水駅に向かって歩き始めた。
胸の高鳴りが激しくなる。
ポケットに入れた手は茉莉の電話番号を書いた紙を握りしめていた。
「電話かけてきて」と言ったのは茉莉のほうだった。
小説が書きあがればするつもりだったが、評価の事が気になって今日までぐずぐずと過ぎていた。
それからはタイミングがずれたようでかけるのを躊躇っていたが、今は小説を読んで欲しいという気持ち、茉莉に逢いたいという気持ちが強く後押しをしていた。
駅の切符売り場の横に公衆電話が5台並んでいる。
ぼくは空いている公衆電話の前に立つと受話器をとった。
十円玉を入れる指が震えている。
そしてそれよりも更に震える指でダイヤルをまわした。
十円玉が落ちコール音が鳴る。
何時もより大きく聞こえる。
ぼくは何度も深呼吸をした。
この時間は茉莉の指定時間帯だ。
唾を飲み込んだ。
しかし茉莉は出てこなかった。
ぼくは十数回コールしてから受話器を置いた。
受話器が汗で濡れていた。
ぼくはホッと息をつくと、公衆電話から離れた。
夏の暑さのせいではなく、緊張感からの汗で背中が濡れている。
久しぶりに強い予期不安がぼくに襲いかかってくる。
そんな自分を何時もより激しく呪いながら苦い錠剤を噛み砕いていた。

ぼくは確かに止めてあるバイクの方に歩いていたはずだった。
しかしふと気づくと、そこは知らない場所だった。
どうやらバイクを止めてある道路を抜け、そのまま真っ直ぐに歩いて来たようだ。
振り返った時、ぼくの目に真っ赤なカンナが入ってきた。
たった一本だけだったが、夏の陽のような赤い花弁がぼくの目を刺した。
遠い記憶の中にある赤い色。
ぼくは目を閉じる。
あの少年の頃、少しの寂しさと共に見続けたカンナの赤い色。
その赤い色が深く沈み込んでしまいそうなぼくの心をゆっくりと引き上げてくれた。
ぼくは目を開けるともう一度カンナを見た。
何も怖くなかったあの頃にもう戻れるはずもなかったが、この色を想っていればまだ歩いていける。
もうあまり自分を責めるのはよそう。
少しの事で簡単に気持ちが壊れそうに思ってしまう。
そんな自分になってしまった事がたまらなく嫌だったが、それなりに受け入れていかないと・・・
どこまで受け入れられるか分からなかった。
ただこのままでは駄目なことだけは理解していた。
「一つずつ、一つずつ越えていかないと・・まずは書く事、自分の事、そして茉莉の事も・・・」
きちんと整理していかないと何も進まないように思われた。
ぼくは来た道を戻りはじめた。
カンナの花弁に触れる。
指先を押し戻すような強さを感じ、少しだけ花弁が揺れた。
そして歩き出したぼくの目に、歩道を渡ってこようとしている茉莉の姿が映っていた。



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