その夜はバイトが休みだった。
ぼくは久しぶりに机に向かっていた。雨が静かに降り続いている。
遠くで小さく雷がなっていた。
季節が変わろうとしているなかで、ぼくが東京に来て初めてのオリジナル作品ができようとしていた。
A講師に云われたように散文にしようと思ってはいたが、かなり映像も意識したものになっていた。
題名は『青春の神話』。
ぼくはあと数枚で完成というところで鉛筆を置いた。
窓を開け大きく息を吸った。
窓のそばまできている青葉が細い雨に震えている。
「女優さんへのラブレターか・・・」
ぼくは原稿用紙の上に置いてある名刺に目をやった。
小さい女性用の名詞には『茉莉』と印刷され、店名が書いてあった。
「水商売か・・・」
初めて会ったとき、少し感じが違うなと思ったが・・・あの印象は職業からきてるものだったのか。
今までぼくの周りにはいない雰囲気の女(人)だったため、余計に強く心に残ったのかも知れなかった。
ぼくはグラスに入っているトリスを飲んだ。
ウィスキーというよりアルコールそのものの味がする。
自然にため息がもれた。
あの夜・・・

その女(ひと)は男を支えながらぼくを見ていたが、
「・・・覚えてくれてたんだ」
ぼくは小さく頷いた。
「そうか・・うん、少し嬉しいかな。ね、あなたこっち側の人だったの?」
「こ・こっち側?」
「水商売ってこと・・・」
「い・いえ・・・ち・違います」
「そう・・・違うのか。ちょっと残念」
その女(ひと)は悪戯っぽく小さく笑うと、ショルダーをあけようとした。
支えている男がいかにも邪魔そうだった。
「ねぇ・・これ開けてくれる?」
「あ・・」
ぼくはその女(人)の傍によった。少し震えている。
何故こんなに緊張してるのか自分でも分からなかった。
「横のファスナーね」
ぼくは少し乱暴にファスナーを引いた。
「中に名刺入れがあるから出してくれる?」
「こ・これ?」
「・・・一枚取って」
ぼくは一枚名刺を抜いた。
「裏に電話番号が書いてあるから・・気が向いたらかけてきて」
「え・え?」
「あら嫌なの?」
「そ・そ・そうじゃないけど・・・」
「お昼前には起きてるから」
ぼくは名刺入れをショルダーに戻した。
「じゃ・・」
その女(人)は男を支えなおすとゆっくり走ってきたタクシーに手を上げた。
ぼくはまだ緊張していた。
彼女は運転手と一緒に男を乗せると、ぼくを振り返った。
「今夜は嬉しかったよ。 あ・・・それからファスナーはもっと優しくね」
そう言って笑った顔が優しかった。

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